こんにちは、英語同時通訳者でオンライン英語・通訳講師の山下えりかです。
引き続き、私の英語歴についてお話しします。
スピーチコンテストから少し時間は戻りますが、中学3年生の春に家庭訪問がありました。当時の担任は1年生の時と同じ先生で、両親もよく知っている方でした。その日仕事が休みで家にいた父も一緒に家庭訪問に参加。その時の先生の言葉が、私の英語人生に大きな影響を与えました。
「Erikaは英語が好きだから、留学して外を見てみるといいんじゃないか。」
それまで英語は好きでも留学を考えたことはありませんでした。留学とはそもそもどんなものなのかイメージすらありませんでしたが、先生の言葉にワクワクしたことはよく覚えています。信頼していた先生が言うならと、両親も反対するどころか協力的でした。
その後担任の先生のいとこが留学先で知り合った人と結婚した話を聞いたり、2つ上の中学の先輩が高校で留学をしたという話を聞いたり、部活(帰宅部と呼ばれた英語部)でお世話になった先生が元同時通訳者だったと知ったり、色々な話を聞くうちに、高校での留学が現実的になって行きました。
高校受験での志望校選びでも、留学が中心にありました。志望校のランクを上を目指すかその下で妥協するかで悩んでいた時も、担任の先生からアドバイスを受けました。「留学はきっと大変なことばかりだと思う。だからより厳しい環境に身を置いていた方が、留学した時に役立つんじゃないか。」最終的にこの言葉が、私の背中を押しました。
その後無事志望校に合格。高校に入学してすぐ、同じ高校に進学していた先述の先輩から留学情報を入手し、2年の夏からの留学に向けて手続きを始めました。
ちなみに高校での英語の成績は、最初の定期テストで40番(240人中くらいかな?)だった以降は鳴かず飛ばず。他の教科に至っては散々な成績が続き、辛うじて英語は好きでいたものの、勉強はすっかり嫌いになりました(笑)留学直前までそんな感じだったので、「留学します」と学期末にあいさつに行った英語の先生にはとても驚かれました。
留学前の高校での出来事で、印象に残っていることがあります。
1年生の時、留学協会に提出するホストファミリーへのアピールの英文の手紙を書きました。その添削を、教科担任にお願いした時のことです。定年をとっくに過ぎたおじいちゃん先生でしたが、5か国語を操りアメリカのどこかの大学で教えた経験があり、その市の名誉市民にもなっていると噂の先生でした。あくまでも噂で、その真偽を確かめることはできませんでしたが(笑)
いつも淡々と授業をする先生でしたし、私のことは全く印象に残っていないようでした。その先生が私の手紙を読んで一言。
「これ、貴女が書いたの?」はい、と答えると、
「英語のテストの成績は?」最初が40番だったきり、真ん中くらいです。
「え?ふーん。そう。」と、とても驚いた表情を見せました。
その後添削をしてくれましたが、ほとんど直されなかったと記憶しています。高校入学以来自信喪失状態だったので、先生の驚いた反応と、「がんばってね」の言葉がとても嬉しかったです。
今思えばこれは、中学英語がしっかりしていた結果だと断言できます。
高校で習った難しい文法は当時の私にとってはあまり実用的でなかったので、手紙はほとんど自分の中にあった文法に頼って書きました。先述の通り中学3年間分の英語は完璧にものにしていたので、文法のミスはほぼ無かったはずです。単語は中学で習う分では少ないので辞書を使い、添削では主にその選び方と使い方について指導を受けました。そのため文章の完成度と高校での英語の成績がアンバランスで、先生を悩ませてしまったのでしょう(笑)
次回からはいよいよ高校留学についてです。お楽しみに!
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