同級生よりも1年遅れて高校を卒業した後、私はカンザス州のウォッシュバーン大学に進学しました。この大学に決めた理由は、英語の環境で勉強をしたかったことと、高校留学の事前研修でお世話になったホストファミリーがいたからということと、同じく高校留学の時に見たカンザスの見渡す限りの地平線が忘れられなかったからです。
高校留学初日、カンザスシティ空港から協会の迎えのバスに乗りました。長時間のフライトと緊張の疲れに時差ぼけも重なり、ほぼ全員が爆睡。静かなバスの中でふと目を開けると、夕焼けに染まる地平線が視界いっぱいに広がっていました。
私がアメリカに恋をした瞬間。今でも鮮明に覚えています。
さて憧れの土地カンザスでの大学生活。実は英語学習・英語歴という意味ではこの2年間、あまり特筆することはありません。大学生活を何とかこなせる程度の英語力はこの時点で備わっていたため、中学、高校留学、高校に比べて英語力の伸びはあまりありませんでした。
転機が訪れたのは大学での2年目が終わり、夏休みで帰国した時でした。
その頃私は、何となくでしたが卒業後のことを考え始めていました。当時アメリカで大学を卒業した留学生には、1年間就労資格が与えられると聞いていました。その1年間の間に就労ビザを自力で取れば、そのままアメリカで働くことも可能だと。しかしながら私は、働くなら日本が良いと考えていました。アメリカはとても好きでしたが、長く住むなら日本がいいと。でも英語からは離れたくないと。
そんな中で最初は漠然と、通訳者になりたいと思うようになりました。英語が好きで高校留学をして、英語が好きでアメリカの大学を選び、英語が好きだから英語から絶対に離れない職業を選びたかったからです。
そう思ったのが夏休み前のこと。帰国前に通訳についてネット上で様々な情報をかき集め読み漁り、通訳学校の存在を知りました。フリーランス通訳者を、それも同時通訳者を目指すのなら、専門の訓練を受ける必要があることを知りました。
帰国後すぐ、興味を持った通訳学校の資料を取り寄せました。資料を読み、その時の自分の状況を考え、すぐに「無理だ」と諦めました。そもそも私の地元静岡には通訳学校など無く、近くても東京か名古屋でした。週2日の授業とは言え、通うには新幹線代がかかります。大学もまだ途中でした。その時点で通訳者はまだ「一番に浮かんだ選択肢」に過ぎないと思っていたので、諦めたと言うよりは、考えるのを止めました。
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