アメリカの大学の夏休みは5月から8月まで、約3ヶ月あります。休み中ただ家にいても仕方ないし自分の小遣いくらいは稼がなければと、高校生の頃アルバイトをしていた近所のスーパーで短期間のアルバイトをしていました。(ちなみにうちの高校はバイト禁止。でももう時効ですよね...笑)
そこである出来事がありました。
ある日、一緒に働いていたパートのおばちゃん(祖母と同い年で友人)が話しかけてきました。
「おばあちゃんからよく話聞いてたのよ。留学なんてすごいわねー。将来は同時通訳だったりして。」
ニコニコとそう言う彼女の言葉に一瞬息が詰まりました。
「あーいやー、同時通訳って専門の訓練受けないとなれないんですよー、ハハハ...」
そう返事をして気づきました。ああこれは自分に言い聞かせたんだと。その場はそれで流したものの、彼女とのこの短いやり取りは小さな棘のように私の心に残り、その後頻繁にチクチクと痛みました。
この一件の後、更に私の心をざわつかせたことがありました。夏休み中に試しにと受けたTOEICの結果が返って来たのです。
初めての結果は840。ほぼ無勉強での受験でしたし、決して悪い結果ではありません。しかし私はその結果に、ただ留学しているだけで身に付く英語力の限界を感じました。通訳者になるために必要な英語力には遠く及ばないと、苦しくなりました。新学期のために再渡米する1週間前のことでした。
一週間後、予定通りカンザスに戻りました。戻ってからも通訳学校のことやTOEICの結果のことでずっとモヤモヤしていました。大学を中退して帰国してでも通訳学校に通いたいという気持ちは、日に日に大きくなって行きました。そしてカンザスに戻って約2週間後、両親にメールと電話で打ち明けました。
「大学を辞めて日本で通訳の勉強がしたい」と。
それと同時に、帰国後かかる予定の通訳学校の授業料と通学費用、大学は中退がダメなら日本の通信大学に編入することも考えていること等、悩みながら自分なりに調べて立てた計画を説明しました。
当然のことながら、両親はまずとても驚き、次にみっちり叱られました。「何故日本にいる間に相談しなかった」と。本当にその通り。タイミングが悪いにもほどがあります。国際電話やメールでする話ではないのは自分でもよく分かっていました。
両親はパニック状態の中でも努めて冷静に私の話を聞いてくれました。一回目の電話では結論が出ず、翌日に持ち越されました。
そして翌日の電話。突っ込みどころ満載だった私の話に一通り突っ込んだあとで、「えりかは言い出したら止まらないから」と、両親は私の帰国と通訳学校へ通うことを許してくれました。
その後2週間という超短期間で学校やその他生活周辺の手続きと引っ越しをバタバタと済ませ、8月の出国からわずか1か月で帰国。
10月から始まる通訳学校の新学期に合わせて動き始めたのでした。
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