準備科では、私にとって運命の出会いが2つありました。
ひとつ目は準備科での最初の週、クラス担任の講師の先生(各クラスには2名の講師が付き、1人が担任です)が、「通訳者としての心得」という資料を読み上げた時のこと。一通り説明を終えた先生は、独り言のようにつぶやきました。
「こういうことを書くのって多分『小松先生』...(最終頁を見て)ああやっぱり。」
先生の顔には、「うんざり」と書いてありました。そして「小松先生」が同時通訳科の先生であること、担任の先生も“小松先生”の生徒であったこと、「小松先生」はとにかく厳しく、怒鳴られたことも何度かあったことを話してくれました。
担任の先生は相変わらずの「うんざり顔」で苦々しい表情を浮かべながら話していましたが、不思議なことにその表情とは全く別の次元で、「小松先生」を深く深く尊敬していることがとても強く伝わってきました。
この話を聞いて、私は「小松先生」に強烈に惹かれました。
こんなに疎まれながらもこれほどまでに尊敬される「小松先生」とは、いったいどんな人なのだろう、と。会ったこともない、声を聞いたこともない、顔すら知らない「小松先生」に、息がつまるほど胸キュンしました。
サイマル・アカデミー通訳コースに入る人間で、小松達也先生の名前を知らない人間は恐らく少数派です。そして恥ずかしながら私は、その少数派でした。私が小松先生の名前を聞いたのは、この日が初めてでした。
その日は帰宅中の新幹線の中で、帰宅後は自宅のPCで、無我夢中で小松先生について調べました。小松先生が日本同時通訳界の草分けと言われる人たちの1人であること、私の祖父母と同い年で当時なお現役の、誰もが信頼する最高峰の同時通訳者であり、同時にサイマル・アカデミー同時通訳科講師も続けていること、そして何よりも、サイマル・アカデミーの母体であるサイマル・インターナショナル(日本初の同時通訳者派遣会社)の創設メンバーの1人であること等々、その経歴に驚いたのと同時に、無知な自分を恥じました。そしてその日のうちに小松先生の大ファンになりました。同時通訳科で小松先生の授業を受けることが、新たに目標に加わりました。
これがひとつ目の運命の出会いでした。
2つ目の運命の出会いの話の前に、準備科の授業内容について少しお話しします。準備科では毎週1回、「時事クイズ」と呼ばれる小テストがありました。範囲はテスト実施日の約2週間前のジャパン・タイムズ(英字新聞)の1面全て。毎週小テストの日に次の範囲となる部分のコピーが配られ、翌週にその範囲の小テストを受けるという流れでした。
中学で英語が得意になって以降、高校の前半と高校留学を除けば、英語に関するテストで良い点が取れなかったことはありませんでした。たった10問の小テストなら、満点が取れて当たり前だと思っていた自分がいました。
そして迎えた初回。結果は10問中6問の正解に留まりました。感じたのは悔しさよりも無力感と焦りでした。
「通訳者たるもの、時事の知識は入っていて当然。」
これはサイマル・アカデミーに限らず、おそらくすべての通訳学校で言われることです。時事クイズの一番の目的は、日英両言語で時事の知識を強化することでした。当時の私にはまず時事知識が絶対的に不足していたので、とにかく苦戦しました。
また時事クイズではほぼ毎回、「分かった気になっている」自分の読み込みの甘さを痛感させられました。複数の講師の先生方が交代で作る10問の問題は、メインの文章や内容に触れるものにとどまらず、内容に関連する言葉や知識について、また見落としてしまいがちな写真の説明文の単語ひとつについてまで、非常に多岐にわたりました。記事に書いてあることには100%対応できて当然で、そこに書いてあるもの以上の知識や単語、またそれを予想する想像力が必要でした。
分からないまたは自信のない単語や表現にはかたっぱしから線を引き、ただ辞書で対訳を探すのではなく同じ記事の日本語版を探しては正確な訳語を探し、関連記事にも目を通し、単語帳を作り、単語を覚え、何度も記事を読み込みました。毎回すべての記事が蛍光ペンで真っ黄色に染まりました。たった10問のために毎週あんなに勉強したのは経験のないことでした。
やっと満点を取れたのは、学期の折り返しの近づいた6月に入ってからのことでした。この時いつもペアを組んで私の採点をしてくれていたクラスメイトのKさんが小さく拍手をしてくれたことが、今でも忘れられません。
準備科での運命の出会いの2人目が、Kさんでした。Kさんは翻訳歴十数年の大ベテランで、初回からほぼ毎回満点だったとても優秀な方でした。彼女の実力ならもっと上のクラスからスタートできたはずですが、彼女が準備科からやってくれたおかげで入門科までの1年間、私は彼女の隣で沢山のことを勉強させてもらいました。
以前単語担当と表現担当のコビトさんの記事でも少し触れましたが、クラスの最年少だった私にとって、人生経験も知識も語彙も表現も豊富な年上のクラスメイト達は全員が先生でした。毎回クラスメイト達のパフォーマンスから語彙や表現や知識を盗んでは学びました。その中でも群を抜いて優秀だったKさんとペアになれるその席は、間違いなく最高の特等席でした。私が通訳者としての語彙や表現を短期間で劇的に増やし身に付けることができたのは、いつも隣で彼女の訳を聞いていたからです。
また彼女の人格と実力と懐の深さ、そしていつもかけてくれた「頑張って!」の声に助けられ、いつも失敗を恐れずに訳の練習をすることができました。時事テストで初めて満点を取った時に自分のことのように一緒に喜んでくれたのは、彼女がいつも私の頑張りを見ていてくれたからでした。
Kさんは私にとって気さくなクラスメイトであり、人生と通訳翻訳の大先輩であり、サイマル・アカデミーでお世話になった先生方と並ぶ恩師でした。どれだけ感謝しても足りません。彼女の隣の席で授業を受けた1年間は、小松先生の授業とおなじくらい、とても貴重な時間でした。
話を時事クイズに戻します。
この時事クイズの勉強のおかげで、私の時事知識は短期間でかなり増えました。また上のクラスに上がり時事クイズがなくなってからも、ジャパン・タイムズを読むと「あ、ここ時事クイズに出そう」と思ってしまうほど、その勉強感覚は体に染み付きました。
しかし今振り返ってみると、この勉強で一番大切だったのは時事の勉強ではなく、与えられた資料を100%理解するとはどういうことかを学ぶこと、そしてそれを現場につなげるための準備方法の確立、さらにその先を読むための想像力の強化でした。実際この勉強法は今、仕事の資料の読み込みに直結していますし、関連資料の集め方もこの頃培ったものがベースになっています。
「分かったつもり」「これで大丈夫」を徹底的に潰し、安心したら失敗すると常に自分に言い聞かせ、できる限りの準備をすること。かつて毎回“うんざり”だった訓練は今、確かに私を支えてくれています。
サイマルで受けた基礎訓練には無駄が無いなあと、常々感じています。
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