こんにちは、英語同時通訳者でオンライン英語・通訳講師の山下えりかです。
アメリカ大統領選が来月に迫っています。国民が直接リーダーを選べるアメリカの大統領選は私の憧れであり、また今回は8年越しのヒラリー・クリントン大統領誕生の夢がかかった選挙であり、とにかく毎日ニュースから目が離せません。
アメリカ大統領選と言えばそれぞれの陣営・支持者が対立候補をけなしまくる、大々的なネガティブ・キャンペーンも注目ポイントのひとつです。先日反トランプキャンペーン動画でとても興味深いものを見つけたので、今回はそれを解説付きでご紹介したいと思います。
アメリカ大統領選のネガティブ・キャンペーンは日本の感覚で見ると、「そこまでやっていいの!?」と言いたくなるようなものだらけです。以前ご紹介したアメリカ大統領選をテーマにしたコメディ映画「Swing Vote」でも出てきますが、あれは決して映画だから誇張しているとも言い切れません。両陣営とも、民意を味方に付けて選挙に勝つためなら文字通り何でもやります。
ネガティブ・キャンペーンを含む選挙関連の運動やPRには、陣営主導で候補公認のものと、一般支持者主導で陣営・候補非公認のものとがあります。
今回ご紹介する動画は、後者。MoveOnという団体主催の、”Laughter Trumps Hate(トランプの憎悪を笑いに)”と言う、風刺コメディ動画コンテストに出品されたUp & Down Theatre Co.の作品です。
アメリカの友人がFacebookでシェアしていたのを偶然見つけ、その風刺の痛快さとユーモア、更にエンターテイメントとしての完成度の高さに衝撃を受けました。この感動を英語の分からない主人とも分かち合いたいと思い日本語字幕を付けたところ、「これはブログで公開するべき!」と背中を押してくれたので、ここでシェアさせていただきました。
一回見ただけで内容が全て理解できたあなたはアメリカ事情通!(笑)
たった2分30秒の動画ですが、ここには非常に多くの情報が詰め込まれています。知らなければ流してしまうものばかりですが、知ればもっとこの動画の良さが分かるものばかり。順を追ってひとつずつ解説したいと思います。
まず前提としてこの動画で言うところの「懐かしいあの頃」は、大体1950年代あたりから60年代に公民権運動が盛んになる頃までが中心です。中にはもう少し(かなり?)前まで遡る内容も含まれていますが。それではここからキーワードの解説をして行きます。
<ルートビア>
「ビア」とは言ってもアルコールは入っていません。薬のようなにおいと味のする、甘ーい炭酸飲料です。薬のようなにおいの正体はハーブのようです。アメリカにいた頃何度か口にしましたが、最後まで慣れませんでした。古い個人経営のハンバーガーショップ等では自家製ルートビアを出しているところもあります。
<クエイルード>
強力な鎮痛・睡眠薬。使い方によってはハイ状態になるそうで、一時期流行り、その後アメリカ政府によって禁止されたそうです。
<ソックホップ>
1950年代にアメリカの高校の体育館等で開かれていたダンスパーティー。床を傷つけないために靴を脱いで靴下(ソック)で踊り跳ねた(ホップ)スタイルから、ソックホップと呼ばれたそうです。
<ジム・クロウ法>
南北戦争直後から公民権運動までの間、奴隷制推奨派だった南部州がそれぞれに作った黒人差別を合法化した州法の総称。例)白人と黒人の結婚禁止。白人看護師のいる病院に黒人男性は患者として立ち入れない。公共の場での隔離政策等。
ジム・クロウとは、白人が黒塗り(ブラックフェイス)で黒人を真似て演じるエンターテインメントであるミンストレル・ショーから生まれたヒット曲「Jump Jim Crow」に由来。この曲が人気となったことからジム・クロウはミンストレル・ショーにおいて「田舎のみすぼらしい黒人」を表すアイコン的な存在となりました。このような背景から、ジム・クロウは黒人差別の象徴とされています。
<KKK(クー・クラックス・クラン)>
言わずと知れた過激な白人至上・人種差別主義団体。白装束に白頭巾を被った出で立ちで黒人リンチを繰り広げた集団。ざっくり言うとこんな感じ。歴史はそこそこ古く、弱体化したものの現在も残党諸派が活動を続けています。
<白黒別の学校>
元の歌詞は”Schools were segregated(学校は隔離され)”となっています。先述のジム・クロウ法にもある通り、長きにわたり白人と黒人は全てを分けられていました。レストラン、公衆トイレ、バスや電車等の公共交通機関、そして学校も、白人と黒人(有色人種)は別々の施設を使うことが義務付けられていました。1950年代に公立学校の人種隔離は違法とされその後統合に向って行くのですが、公立学校の隔離政策がはじめて違法とされたのはなんと私が住んでいたカンザス州トピカの教育委員会の裁判だったというのを最近知りました。トピカでの人種差別や南部の黒人差別には私自身印象的な経験があります。長くなるのでこの話はまた後日。
<天然痘ブランケット>
はじめてこの単語を聞いた時、インディアン(ネイティブ・アメリカン)には天然痘の懸念があるから感染を防ぐためにブランケットを被せたのか?と思いました。しかし調べてみると内容は真逆。そもそも天然痘はヨーロッパから新大陸アメリカに持ち込まれた病気で、その昔アメリカ兵がインディアンを根絶やしにするために天然痘で汚染したブランケットを配った、と言う話のようです。要は当時のバイオテロです。これが事実と言う人も、作り話だと言う人もいます。真実はどちらでしょうね。
以上昔懐かしいアメリカンスタイルのメイクや服装で当時風のリズムと音楽にのせて、「トランプの言う偉大なアメリカってこんな時代でしたよ」という風刺メッセージを発信する動画と解説でした。
色々と問題のある内容ですが...こんな感じの音楽や服装は大好物です(笑)
最後にこれらを調べた中で知って驚いたアメリカ政治の歴史の一端をご紹介します。
実は、南北戦争で奴隷解放宣言をしたリンカーン大統領が共和党だったというのを初めて知りました。現在の民主党・共和党の性質から考えれば、奴隷解放は民主党の政策だと思い込んでいたのです。
調べてみると当時は二大政党が現在と真逆の主張をしていたことが分かりました。当時は民主党が南部拠点の保守派、共和党が北部拠点の進歩派。それがどこでひっくり返ったのか探ってみると、1920~30年代の大恐慌時代、ルーズベルト大統領のニューディール政策が契機だったそうです。これを境に民主党が進歩的な政策を取るようになり、それに対抗した共和党が保守派に転向して行って、くるっと回って現在の形になったそうです。
二大政党が根幹の政策ごと入れ替わることあるなんて、ほんとに映画Swing Voteみたい...と言うよりこれは実際にあったことなわけですから、事実は小説よりも奇なりってやつですね。
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