「英語教育のせいで日本人は英語ができない」は本当なのか

 

 こんにちは、東京在住英語同時通訳者の山下えりかです。

 

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 本日12月7日はパールハーバー攻撃の日。あれ?真珠湾は8日でしょって?実は私、高校留学中のアメリカ史で習ったパールハーバーが印象的だったのか、この日だけはどうもアメリカ時間で覚えてしまっていて未だにその感覚が抜けません。今年もこの時期になり、やはりパールハーバーと聞いてしっくりくるのは12月7日です。

 

 だからと言って今回戦争関連の話を書くわけではありません。これに関しては今日がこの日だったので、ただつぶやきたかっただけです(笑)

 

 今回はタイトルの通り、「英語教育のせいで日本人は英語ができない論」について私の思うところを書こうと思います。

 

 「中高で6年間、大学も入れるとそれ以上英語を勉強したのに、聞けない、話せない。こんな教育は間違っている。」

 

 巷でよく聞く、「日本人が英語ができない理由」のひとつです。

 

 確かに6年もの年月とお金をかけて学んだものがいざ使いたくても全く使えないと言うのは、一見不条理なように感じます。しかしこう考えてみるといかがでしょうか。

 

 私は小中高と12年間算数・数学をやりましたが恐らくその半分も頭に残っていません。基本的な四則演算は問題なくできますが、数が大きくなると電卓に頼りがちです。国語にしたってそう。パソコンや携帯に頼りすぎて、ただでさえ元々苦手だったのに今では漢字には全く自信がありません。地理は昔から苦手。歴史は誰でも知っている有名どころと興味のある狭い範囲なら何とか。現代社会、政治経済は、通訳の勉強の過程で必要に迫られ身に付けたものがほとんど。理科については...半分どころか4分の1...いや1割覚えている自信もありません。

 

 大人になって振り返れば頭に残っている学校の勉強ってこの程度ではありませんか。数学が得意だった人は数学を、歴史が得意だった人は歴史を、他の教科よりも少し多く覚えているくらい。それがふつうではないかと思います。だとしたら、6年間英語をやっても全員が全員できるようになるなんて絵空事です。

 

 6年英語やったのにできないじゃないかと言うのなら、他の教科についても言うべきです。

 

 12年数学をやったのに電卓が無いと計算ができない!12年地理の勉強をしたのに世界地図を書けない!12年国語を(しかも古文漢文まで)やったのに漢字が書けない!自信を持って敬語が使えない!日本語は母国語なのに!!なんてね。

 

 こういう状況に直面したら大人はどうするのでしょう。必要なことを必要なだけ、調べたり学び直したりしますよね。そういう意味では現代人にとってインターネットとGoogle先生は強い味方です。(Google先生...毎日お世話になりすぎて勝手にこう呼んでいます・笑)

 

 はっきり言います。「6年やったのにできない」はただの言い訳であり、教育に対するイチャモンです。ダメなのは日本の英語教育ではありません。ちきんと問題と向き合いましょう。どこかで怠けていたり英語を甘く見ていたツケが回ってきているのだと。

 

 そして認めてください。その6年間、英語を使えるようになりたくて毎日猛勉強していたわけではないと。

 

 ちなみに6年間毎日猛勉強をしたのにも関わらず全く英語が使えるようにならなかったと言うのなら、私の言っていることが間違っていると潔く認めます。それならば確かに、日本の英語教育の何かがおかしいということになるでしょう。

 

 とは言え、英語が他の教科と大きく異なる点は確かにあります。

 

 それは...

 

 大人になって必要になる人が圧倒的に多いこと。そしてその時にできないと本当に困ること。数学よりも、漢字よりも、社会科よりも、理科よりも、現代日本ではできないと非常に困る人の数が桁違いに多く、それでいて先述のように「必要な時に必要なことを必要なだけ調べて学ぶ」ができないのが英語です。

 

 Google先生の翻訳機能も日々進歩してはいるものの、日本語と英語は文章構造が違いすぎてちんぷんかんぷんな訳になってしまいがち。かと言ってきちんと学び直そうとすると、時間も労力も想像以上にかかってしまいます。だから「1か月でペラペラ!」「たったこれだけで英語が話せる!」のような商売が儲かるのです。

 

 しかしこのような学習法、「どれも試したけどダメだった」という声をよく聞きます。そしてその度に思うのです。

 

「当たり前ですよ」と。

 

 そもそも基礎が怪しいのに応用からやったところで、時間も労力も無駄です。無駄にする時間と労力があるのなら、基礎からやり直した方がずっと建設的です。

 

 平仮名・片仮名ができないうちから漢字の勉強はしません。四則演算ができないのに因数分解はできません。筋力不足で準備運動無しのままダッシュをすれば、怪我をします。

 

 英語も同じです。基礎文法ができないのに、ビジネス英語ができるはずがないのです。

 

 「間違えてもいいんです。どんどん使いましょう。」という言葉をよく耳にします。前東京都知事も以前都議会でそう発言していました。東京オリンピックが4年後に迫っていますしね。私もどんどん使うことには賛成です。私自身、使って使って使いまくって上達してきました。

 

 もちろん間違えても良いとも思います。我々プロだって間違えることはあるのですから。

 

 ただし間違えても良いのは、「間違えていることが分かる人」です。自分の使っているそれが間違いかそうでないかが判断できる程度には、勉強は必要です。

 

 使っていて「あっ、間違えた」と気づき、次は同じ間違いをしないように気を付けようと思えること、すぐには無理でも使っていく過程でミスを極力少なくして行けること、そのための失敗・間違いなら、どんどんして成長に繋げれば良いと思います。

 

 しかし間違いを間違いだと気づかずに使い続けては成長はしませんし、非効率です。また間違ったら相手が指摘してくれると思うのは甘い考えです。日本語に不慣れな外国人のミスを、いちいち指摘する人がどれだけいるでしょうか。「変な言い方だけどまあ分かるからいいか」と流す人がほとんどでしょう。

 

 日本人の英語も同じです。自分で気づかなければ、間違いは間違いのままになってしまいます。

 

 「通じるんだからいいじゃないか」と言う人もいます。それで通る場面と相手ならばいいでしょう。しかしビジネスシーンでそれは通りません。間違えた解釈、間違えた言い方は仕事に直接影響します。このことに関しては以前下の2本の記事で触れましたので、ここでは書きません。

 

 気になる方はこちらをご参照ください。

 

 トランプ氏がヤジる日本人の英語

 トランプ発言とアメリカの言語差別

 

 過去の記事の繰り返しになりますが、私の英語の土台を作ったのは日本の義務教育の中学英語です。これがあったからこそ、16才でアメリカに高校留学をしてもなんとかコミュニケーションに困らずに生活できたのです。

 

 英語に限らず言語学習は積み重ねです。ですから中学英語でつまずいたらその先が分からなくなって、英語が嫌いになったというのはよく理解できます。だからと言って英語教育自体を悪者にしないでください。「昔つまずいてその先がわからなくなった、でも今英語が必要」と言うのなら、つまずいたところからやり直せば良いのです。

 

 最後にもう一度、声を大にして言います。

 

 日本の英語教育はダメではありません。

 

 現在通訳者として英語を仕事にしている私が、その生き証人です。

 

 

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