こんにちは、英語同時通訳者でオンライン英語・通訳講師の山下えりかです。
前回に引き続き、もう少しだけ韓国出張@ムジュの話をします。ただし今回は出張の内容ではなく、久々に出くわした「英語が下手(だと思われる)なアジア人に対する言語差別」についてです。内容は一般的に「差別」という言葉を使うほど衝撃的なことではありませんが、意識できないほどに根深く広く浸透しているのがこの「差別」の本質であると私は感じています。
まず、言語差別がいかなるものであるかは「トランプ発言とアメリカの言語差別」の記事をお読みください。
今回世界テコンドー選手権帯同の際に宿泊したムジュのホテルは、大規模なスキーリゾートでした。試合会場から30分ほどシャトルバスに乗ってリゾートに着くと、まずメインゲレンデと思われるあたりで下ろされます。そこには1つだけホテルがあるのですが規模はあまり大きくなく、ほとんどの宿泊者はそこから更にリゾート内を循環する小さなシャトルバスに乗り換え、各自のホテルへと戻ります。
出張4日目、試合会場で開かれた昼食会に出席し、少し試合を観戦して会場内を見て回った後、もう少し残ると言うクライアント達と別れて先にリゾートに戻りました。連日の暑さと疲れでぐったりして会場からのバスを降り、少し待ってリゾート内のシャトルバスへ。同じバスには東欧の国の選手団が乗っていました。
世界テコンドー選手権は大きな大会のため大量のバスが必要になります。その運行のために多くの運転手さんが集められていましたが、そのほとんどの方が英語があまり得意でない方達でした。同乗していた東欧の国の選手団やその他数名は口々に大声で自分の滞在ホテルの名前を短く運転手さんに告げています。私も遅れを取るわけにいきません。
「〇〇で下ろしてください」だとか、「○○へ行ってくれますか?」と余計な言葉を付け加えては通じない可能性があります。確実に自分の宿に戻るためには、明確に分かりやすく行き先を伝えなければなりません。他の乗客の声が途切れたタイミングで、私も大声で運転手さんに伝えました。
「○○, please!」
バスに乗っていたアジア人は運転手さんを除き私だけ。物珍しさからか、例の東欧の国のコーチらしき人物が、ニヤニヤしながら話しかけてきました。
コーチ:「バスの乗車券、持ってる?」
私:「え?何?」
コーチ:「バスの乗車券だよ。無いと乗っちゃだめなんだよ?」
私:「いやそんなはずは...(何言ってんのこの人?)」
コーチ:(無言でニヤニヤ)
ここで気づきました。あ、私、英語できないと思われてナメられてる。疲れていたこともあり面倒になってやり返しました。
私:「いやいや、からかってんでしょ。私が日本人だから英語話せないとでも思ったわけ?(大声&笑顔)」
ここで「やべ、マズった」とあからさまな表情を見せたコーチさん。バツが悪そうに笑ってウインクしてきましたので、「いいのよ、気にしないで」と笑顔で対応しておきました。
本人は何の悪気もなしに少しからかった程度の認識だったのでしょうけれど、そこには無意識に「英語が苦手な相手=からかっていい相手」という思想があったはずです。あの感じからして常習犯でしょう。英語がちんぷんかんぷんな相手と上記のようなやり取りをするのは、移動中の暇つぶしにはなるんでしょうね。意味が分からなくて困っている顔だとか、言い返したくても言い返せない相手の表情だとか、それをごまかすために相手がヘラヘラと笑うのを見るのも好きなのかもしれません。まあ相手はジョークのつもりですから笑って終わること自体悪くはないのでしょうけれど、「分からなくて困ってヘラヘラ笑う」のと「今の上手かったねと相手のジョークに対して笑う」のとでは雲泥の差です。少なくとも前者の笑い方は恥ずべきことですし、日本人の悪い癖です。
ただの冗談なんだからそんなにムキにならなくてもと思う人もいるかもしれません。笑って合わせてやりすごせばいいと思う人もいるかもしれません。これをどう捉えるかは人それぞれでしょうけれど、問題はその冗談の内容が相手の英語力の低さをネタにしたものであることであり、アジア人(日本人)の英語力の低さは「笑いものにしていいもの」と認識されていることです。そしてそれが無意識という頭や心の深い部分に根付いた感覚であり、英語圏のみならず英語を公用語として使用している非英語圏の国々にまで広く浸透しているのがこの問題の厄介なところなのです。
これは英語下手なアジア人(日本人)に向けられる世界の差別意識を改めて実感させられた出来事でした。少しイラっとはしたものの、私一人のこととして考えれば大したことではありません。ただ現在英語を教える立場にもある者としては、何とも頭が痛い話です。こんな言語差別などどこ吹く風で相手を無理やり自分のペースに引き込める人であれば何も問題はありませんが、それもまた日本人にとっては英語と同じかそれ以上に難しい課題です。
何はともあれ、これはこれで貴重な経験でした。こんな経験さえも明日の英語指導法の糧にして行ければと思います。
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