こんにちは、英語同時通訳者でオンライン英語・通訳講師の山下えりかです。
通訳科前期で一緒だったあるクラスメイトのことを、今でもたまに思い出します。
「一緒だった」と言っても彼女が在籍していたのはわずか1週間ほど。それでも彼女が強烈に印象に残っているのは、彼女がクラスを去る前にある出来事があったからです。
スパルタ先生の代講で始まった通訳科前期(現通訳III)。元々厳しい先生でしたが、通訳科仕様の厳しさは入門科の比ではありませんでした。 ほんの数週間前まで見逃して貰えたミスも許してはもらえず、初回から先生の激辛コメントに泣き出しそうになりました。
通訳科前期でお世話になった担当講師は2人とも超多忙な売れっ子通訳者だったため、最初の週は2回続けてスパルタ先生の代講となりました。
冒頭で触れたそのクラスメイトの女性は、その時既にプロの通訳者としてお仕事をされていて、聞きかじっただけでも素晴らしい経歴の持ち主でした。
その出来事が起こったのは、2度目の授業で先生が彼女を指名した時のことでした。
先生の前だと極度に緊張してしまうと話していた彼女は、離れた席からも分かる程に緊張していて、時々つかえながらやっとの思いで訳出しをしました。
すると先生は彼女の訳にはコメントをせず、間髪入れずに、「同じ所をAさん。」
元々先生のクラスで免疫もあったAさんは緊張にのまれることもなく、難なく先生の期待に応えて見せました。
そして元の彼女に対し、「この違い、分かる?」と厳しい視線を向けた先生。
「ワードチョイスが…」と彼女が言いかけると、
「それ以前の問題でしょ。あれじゃ商品にならない。」と冷たく言い放ちました。
彼女の姿を見たのはこの日が最後でした。
私は不謹慎ながらこの時、「守るものが無くて良かった」と心の中でつぶやきました。最初から何もかも足りない状態でやってきて、私にはあの場で否定されて傷つくほどの実力も実績もプライドもありませんでした。先生方から何かを指摘されるのはひとえに自分の実力不足だと、どんなに厳しい言葉も正面から受け止められる「何も持たない強さ」がありました。
ただし彼女と同じ立場でこう思えたかどうかは分かりません。積み上げてきたキャリアをあんなに強い言葉で否定されるのは本当に辛かったと思います。
ちなみに後日、私もこの先生に同じことをされました。比較された相手は上記と同じAさん。やめたいとは思いませんでしたが、やはり辛かったですしへこみました。原因は自分の実力不足なのでぐうの音も出ませんでしたけれど。
この一件で、入門科の頃からぼんやりと感じていたことをはっきりと認識しました。「通訳訓練とは半分技術、半分精神鍛錬」ということです。気の遠くなるような緊張感の中でも自分を保ちぶれないパフォーマンスができる強靭な精神力がなくては、通訳者は務まりません。
こう書くとこのスパルタ先生は血も涙もない鬼なのかと思われるかもしれませんが、そうではありません。先生の名誉のために書いておきますが、この方はその厳しさと同じくらい生徒思いの先生でした。
この先生は通訳の仕事を始めたばかりの頃、聞き手を意識しない我流の話し方をクライアントに厳しく咎められたことがあったのだそうです。その経験から、「通訳者のパフォーマンスに癖があると情報伝達の妨げになってしまう」「聞き手に伝わらなければ通訳の意味がない」と痛感し、それ以来自分にとても厳しく音読やシャドーイングの訓練に励んだのだとか。
この先生が生徒のパフォーマンスをとても厳しい目で見るのは、自分と同じ轍を踏ませないためであり、本番で失敗しないように、訓練の時点で修正すべき点を細かくチェックしてくれているからだったのだと、私も現場に出るようになってから実感できました。この先生を含めサイマルアカデミーでお世話になった先生方の教えは、全て現場で活きています。無駄なことは何ひとつありませんでした。
またこれほどの緊張感との付き合い方を訓練の中で学べる機会は希少なので、そういう意味でもとても素晴らしい先生だったと思います。
それでは私は自分が通訳講座で教えている生徒さんたちのために心を鬼にして厳しくできているかと問われると、スパルタ先生の足元にも及びません(苦笑)。これは向き不向きと性格の問題のようです。私は私のやり方で、これからも生徒さんのレベルとペースに合わせてやって行こうと思います。
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