ちなみに同時通訳科の授業内容は以前も書いた通り、「2人1組でブースに入ってひたすら同時通訳演習→交代のタイミングで先生からコメント/それ以外の生徒は教室内でレシーバーでパフォーマンスを聞く」の繰り返しで、これ以上説明のしようはありません。教材の内容は主に、政治経済分野の著名人や専門家のスピーチでした。
圧倒的な実力不足のために撃沈し、胃と背中の激痛に見舞われた最初の卒業試験の後、短い休みを挟んですぐに再履修の学期が始まりました。再履修になるとその期の後期にあたるクラスに入ることになっていたため、担当講師も変わります。いよいよ、準備科にいた3年前からあこがれ続けた小松先生のクラスです。
「小松先生は才能が好き。」
「小松先生が前期を担当する期では通訳科からの進級者は全員小松先生が直接選ぶらしい。」
以前から噂に聞いていた通り、前期から小松先生のクラスにいたクラスメイトたちは実力者揃いでした。
今ではサイマルアカデミーの都市伝説と言われている、会議通訳者の松下佳世さんもこの中にいらっしゃいました。何が都市伝説かと言うと、「いきなり同時通訳科から入ってきっかり1年でAランクで卒業して専属通訳者になった方」だからです(普通は下のクラスから始めて同時通訳科に入るまでに数年かかります)。当時既に国際的な新聞記者として活躍されていた方でしたから、知識、語学力、経験、実力の全てがずば抜けていました。それでも尚、常に現状に満足することなく、謙虚な姿勢で学び続ける努力の人でした。半年間彼女と同じクラスで学べたことは今でも私の財産です。
何年も憧れ続けた小松先生のクラスは、いつまでもそこに座っていたいと思う気持ちと、恐怖で教室に近づきたくもないという気持ちとが同居する空間でした。先生の作り出す独特の緊張感に満ちた教室と、その中で優秀なクラスメイトたちと互いに刺激し合う時間は最高の学習環境でした。しかしながらその一方で、やはり知識と経験不足から教材への理解はなかなか追い付かず、同時通訳演習では相変わらずスピードについて行けず、七転八倒の日々が続きました。
この頃の私は自分で自分を追い詰めすぎて、精神的な視野狭窄状態に陥っていました。準備科に入ったばかりの頃に自分で作った「他者と自分を比べない」という目標は忘れてはいませんでしたが守る余裕がなく、自分のことは悪いところばかり、クラスメイトのことは良いところばかり目につくようになり、すっかり自信を失っていました。それでも訓練をやめることはできず、ただただ苦しい日々が続いていました。
ちょうどこの頃「どうせ今日もまた沢山ダメ出しされるんだろうなぁ」などと考えながら、どんよりと暗い気持ちで学校へ向って歩いていた時に、前を通りかかったお寺の掲示板の標語が目にとまりました。
「気にしても苦にするな」
もう少しで学校に到着するというところでこれを目にして、不思議なほどに気持ちが楽になったことを今でもよく覚えています。
この言葉で急に視界が開けて、「先生からの辛辣なダメ出しには自分の通訳の未熟さを思い知らされて色々と気になってしまうけれど、それが本当に苦しみであったことは一度もない」と気づいたのです。そして小松先生だけでなくサイマルアカデミーでお世話になった先生方からいただいた指摘は、どれもとても的確で価値のあるものだと改めて気づくきっかけになりましたし、同時に先生方がそれだけ生徒のパフォーマンスを細部までよく聞いていることを再認識することもできました。
私は宗教は特に信じていませんが、これはとても嬉しく印象的な出会いでした。
ほぼ毎回嫌になるほどのダメ出しをされてへこんだ回数の方が圧倒的に多かった半年間でしたが、覚えている限り数回、小松先生が私のパフォーマンスを褒めてくれたことがありました。たまたま事前準備と訳出が上手くかみ合い、ほんの少しだけ先が読めた時や、事前に自分で入手して読んだ資料の内容がほぼそのままその日の教材の内容で余裕を持ってついて行けた時などです。それまではいくら事前準備をしてもその知識を訳に生かしきれないことばかりだったので、これは自分でも成長の手ごたえを感じられるタイミングでのことだったのだと今振り返って思います。
初めて小松先生から「なかなか良かった」とコメントをいただいた日の夜は興奮のあまりに眠れませんでした。今だから懐かしく思い出せますが、そこまでの道のりが何と長かったことか...ここまでこのシリーズを読んでくださっている方ならお分かりいただけますよね...苦笑。
このシリーズも残り少なくなりました。あとはほとんどが思い出話になりそうですが、もう少しお付き合いいただけましたら幸いです。
つづく。
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シリーズつづき:【私が通訳になるまで39】通訳学校と同時通訳科5(「あふれた瞬間」と祝卒業)
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