こんにちは、英語同時通訳者でオンライン英語・通訳講師の山下えりかです。
明日でニューヨークの同時多発テロ事件から20年が経ちます。先日にはアメリカ軍のアフガニスタンからの撤退が終了し、やはり今年の9月11日は大きな節目と言えるでしょう。
あの時私は16才の高校2年生で、交換留学生としてテキサス州ヒューストンの高校に通っていました。私にとっても今年は、その留学から20年の節目の年です。あの年最も強烈に記憶に残った日を前に、今回は私の人生を変えた高校留学の一年間についてお話しします。
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✔ 高校留学の3つの幸運
自らの高校留学を振り返ってみると、つくづく幸運に恵まれた一年でした。そのうち主要な3つがこちらです。
1.語学研修地が発音に癖のないカンザス州だった
2.高校に通ったテキサス州のホストマザーが発音に厳しい人だった
3.ホストシスターが教員志望の大学生だった
それではひとつずつ見て行きます。
✔ 癖のない発音のカンザスのホストマザー
高校留学のために日本を出発したのは7月下旬。アメリカの高校の多くは8月下旬から新学期のため、夏休み期間の1カ月間は数十人の留学生がいくつかの場所でまとまって語学研修を受けました。
私の研修地は、カンザス州の州都トピカ市でした。カンザス州のあるアメリカ中西部は英語の癖が少なくアナウンサーの排出率が高い地域とのことで、そこに暮らすホストファミリーも発音に癖がなく聞き取りやすい英語を話しました。
特にホストマザーは普段からとてもはっきりとクリアな発音で話す人で、特に私には意識的に聞き取りやすい英語を使ってくれました。このホストファミリーのおかげで最初の一カ月間とても楽しく過ごせましたし、お手本にしたいと思える英語にも出会うことができ、英語を使うのがとても楽しいという感覚を知ることができました。
✔ 発音に厳しいコテコテ南部英語のテキサスのホストマザー
団体での語学研修が終わると、新学期に合わせて留学生たちは各自のステイ先に散らばりました。私のステイ先はテキサス州ヒューストン。州都でありながら規模の小さい街だったトピカとは異なり、ヒューストンは大きな街でした。広大な土地にNASAの宇宙センターがあり、大小さまざまな規模の住宅街もあり、だだっ広い牧場もあり、街中へ行けば大きな道路が頭の上で何本も交差して大きなショッピングモールが立ち並ぶ大規模な商業地区もありました。
Texan Englishとも呼ばれるテキサスの英語は独特の南部訛りで有名です。中でも私のホストマザーはコテコテの南部英語を使う人でした。
分かりやすい発音でこちらの言わんとしていることを察してくれていたカンザスのホストマザーに対し、テキサスのホストマザーはまさに正反対でした。自身の発音については南部訛りごと私が聞き取ることを前提に会話し、私の発音も少しでも音が違って聞き取れなければ「わからない」とズバッと返し、彼女が聞き取りやすい発音で話すことを常に求められました。
とは言えホストマザーは決してこれを意地悪でしていたわけではなく、ただ不器用なだけでした。英語がまだ上手く話せない外国人の子どもを家に招き入れたは良いものの、どう接して良いのかもわからず、「それなら普通に」という感じで接していただけなのだと思います。すると一般的なアメリカ人と同じ扱いになりますから、「自分の発音を変える必要はない、相手(私)が一般的なアメリカ英語の発音で話すのが当然」ということになるわけです。
この無意識のスパルタリスニング強化と発音矯正は、慣れるまでは毎日心が折れそうになるくらい苛酷でした。私がおしゃべりな性格でなければ「もう黙っていよう」と思い無口な留学生活を送っていたかもしれません。しかしおしゃべりが大好きな16才の女の子でしたから、聞き取れなくても発音が伝わらなくても1回や2回で諦めたりせずに何度も挑戦を続けているうちにだんだんと慣れましたしどんどん上達して行きました。
ホストマザーが不器用で、私を留学生としてではなく他のアメリカ人と同様に扱ってくれたからこそ、たった一年で今のリスニングとスピーキングの盤石の基礎を築くことができたのです。私が常に話すスピードでひとつひとつの音の発音に気を配れるのは、ホストマザーとのこの日々があったおかげです。
✔ 小学校教諭の卵だったホストシスター
ホストマザーと同じくらい私の英語を育ててくれたのが、ホストシスターでした。彼女は実際にはホストブラザーのいとこでしたが、2人は幼いころから姉弟同然で育っていて、ホストファミリーが経営する会社で事務をしていたり、家にもよく出入りしたりと、私も毎日のように顔を合わせていた存在でした。
ホストシスターは当時社会人として働きながら、教員免許取得のためにヒューストンの大学に通っていました。そしてその勉強の傍ら、よく私の英語の勉強に付き合ってくれました。彼女は学校の宿題を手伝ってくれただけでなく、会話の中でも小さな文法の間違いを正してくれたり、私が不自然な表現を使うとすかさず「私たちはこう言うんだよ」と教えてくれたりしました。
外国人と日本語で話したことがある人は分かると思いますが、私たちは例えば相手が「てにをは」を間違えたり、不自然な表現を使ったとしても、「意味がわかるからいいか」と流してしまいがちです。その都度話を止めて指摘し、指導をするという作業がどれだけ面倒であるかは考えなくてもわかります。
それにもかかわらずホストシスターは根気強く私の英語を観察し、育ててくれました。そして私の成長をとても楽しみにしてくれていました。ホストマザーとの発音特訓同様に、聞くスピードで、また話すスピードで文法の構造を意識できるようになったのは、ホストシスターのおかげでした。
✔ 3つの幸運の相乗効果
以上のように、私は語学研修先のカンザスで英語を使う楽しさを知り、お手本にすべき発音に出会いました。ステイ先のテキサスで速くて癖のある英語を聞き取る耳、英語を発音する際の口・舌・歯・喉の使い方、正しい文法への意識を学びました。
この順番が違っていたら、またはこのどれかが欠けていたら、高校留学の1年間があれほど実り豊かな1年間にはならなかったでしょう。こんな幸運に恵まれたことに、そしてこの3人を含め私を助けてくれたすべての人に感謝しています。
✔ どんな幸運も活かせるかどうかは準備と努力次第
とは言え、どんな幸運に恵まれてもそれを活かせるかどうかは自分の準備と努力次第です。
私がこの3人のサポートを最大限活かしきれたのは、留学前に十分な準備をしていたからに他なりません。準備とは、有名な英会話スクールでレッスンを受けたり難しい資格試験を取ることではありません。中学3年間分の英語の教科書を全て頭に入れていた、これだけです。
現地で英語をたくさん聞いてたくさん話すためには、それを理解するための、また正確に意思を伝えるための、ルールを頭に入れておくことが最低限必要です。そのルールさえ頭に入っていれば、最初から本当にたくさんの英語を理解できますし、たくさん話せます。
ホストマザーに英語を聞き取ってもらえず悔しい想いをしていた時も、文法で悩む必要がなかったために発音にだけ集中できましたし、ホストシスターに何かを指摘された時には何を指摘されていてどう直せば良いのかがすぐにわかり効率的でした。
更にホストマザーのスパルタ矯正についていくには相当な努力が必要だったと、今振り返って思います。
大切なのは十分な準備と努力。これは英語学習のどの段階でも同じことです。
✔ おわりに
あれからもう20年が経つなんて、まだあまり実感がわきません。しかしながら当時は子供で過干渉なテキサスのホストマザーを疎ましく思っていた私が、こうして感謝の気持ちで過去を振り返るくらいの時間は経っているようです。
これからもあの1年の経験を大切に、日々努力を積み重ねて行こうと思います。
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